ミャンマー駐在体験談

ミャンマー政変後の状況を一人の日本人駐在員の視点で書くブログ

治安部隊による激しい弾圧と戒厳令

3月14日、ミャンマーの治安当局による弾圧が激しさを増した。弾圧は、市民が道路に設置したバリケードに火をつけて燃やすことから始まった。反政府運動は当初、市民が都心部や商業地などに集まり、抗議デモを行っていた。それを治安当局が、催涙弾、ゴム弾、最終的には実弾を使って、暴力的に弾圧してきた。そのため、市民は治安当局からの暴力を避けるため、道路にバリケードを築いて治安当局の侵入を防ぐ対策をとったうえで、商業地ではなく、住宅エリアで抗議デモ活動を行うようになった。そのため、ヤンゴン市内は、様々なところにバリケードが設置され、迷路のような状態となり、交通機能がマヒするようになった。そのような背景があり、治安当局は3月14日、道路に設置されたバリケードに火をつけて撤去する行動にでた。

このように、軍と警察による相当激しい鎮圧があった。治安当局は、当然バリケードを燃やすだけでは終わらず、市民に対して発砲も多数行い、ラインタヤーだけで少なくともとも20名、ヤンゴンで40名が犠牲となり、一日の死亡者としては2月1日のクーデター以降最大の数となった。負傷者も多数見込まれ、大変懸念される事態となった。

 それだけにとどまらず、同14日、ラインタヤー地区、シュエピター地区にある複数の工場等で放火が原因と見られる大規模な火災が発生した。複数の中国系の工場に火炎瓶が投げ込まれ、大規模な火災になった。放火犯は、治安部隊とも、デモ隊とも言われており、実行犯は不明のままだ。

こうしたことから、武力制圧を進める軍事政権は、3月14日夜、ラインタヤー地区とシュエピター地区に戒厳令を発令した。翌15日朝、さらに4地区に戒厳令が出され、ヤンゴン市内の6つのタウンシップに戒厳令が敷かれた。戒厳令発令の背景には、中国系工場が火災にあったことから、中国政府から治安維持を強力に進めるように圧力があったともいわれている。

3月15日朝のヤンゴンの様子↓↓↓

戒厳令という言葉は、歴史で学んだが、具体的には内容をよく理解していない。歴史上はどうだったか調べてみた。すると東京で戒厳令が発令されたのは、以下の3回。

  1. 1905年 9月6日 - 11月29日、日比谷焼打事件
  2. 1923年 9月2日 - 11月15日、関東大震災
  3. 1936年 2月27日 - 7月16日、二・二六事件

これは、もはや平時ではなく、戦時状況と言っていいだろう。

また、言葉の意味も辞書で調べてみた。大辞泉には、戒厳とは「戦時またはこれに準ずる非常事態の際、立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍隊の手にゆだねること」とある。戒厳令が発令されたということは、軍隊がすべての権力を掌握し、市民の前に立ちはだかるということだ。軍隊が権力を掌握した地域では、今後もっと激しい弾圧が予想される。

現在のこの悲惨な状況を起こした原因を考えると、全て国軍に責任がある。市民がデモを起こしてこのような事態に至ったのではなく、国軍が民主政権をクーデターで倒したことが原因なのだから。

私の勤める工場は、戒厳令下のシュエピターにある。しばらく業務再開は不可能だろう。先行きが見通せない状況となった。

在ミャンマー日本大使による、ミャンマー政府への申し入れ

3月8日、丸山大使は暫定政権の外務大臣であるワナマウンルイン氏と会談した。大使からは改めて現状への強い懸念を相当強い口調で表明。具体的には、①暴力の一切の停止、➁スーチー氏以下NLD指導者の即時開放、③民主主義への復帰、の3点を訴えた。

これを読んで、皆さんなら、どういう感想を抱くだろうか?一般的な日本人なら、ミャンマーの軍政に対して、きちんと市民平和と民主主義を守るように意思を伝えていると思う人が多いのではないだろうか。ところが、ミャンマー市民は全く違う反応なのだ。丸山大使とワナマウンルイン氏の会談について、在ミャンマー日本大使館フェイスブックで発表したところ、ミャンマー市民は怒り心頭で、多くの辛辣なコメントを寄せた。

問題のフェイスブック投稿はこちら↓↓↓

市民が怒っているのは、外務大臣であるワナマウンルイン氏という部分についてだ。外務省としては日本政府の立場を軍事政権に直接伝える際、対外的な窓口は外務大臣との認識の下、今回の会談に行ったので、このような表記になる。ところが、多くのミャンマー人は、「日本政府は、ワナマウンルイン氏を外務大臣と認識し、軍事政権を合法化、正当化するのか」と多くの厳しい批判を、大使館に対して、電話やフェイスブックで寄せたようだ。

それに対し、以下の時事通信の記事のとおり、茂木大臣が、呼称を「外相と言われる人」に修正したようだ。

www.jiji.com

おそらく、これは単に呼称の問題ではない。軍事政権に反対する多くのミャンマー人が、日本政府の対応・姿勢に疑念を抱いたと考えるべきだ。話して理解するような政府だったら、クーデターを起こしたり、武力で平和的なデモに攻撃したりしない。話の分からない相手には、実力行使で対抗するしかない。だから、ミャンマー国民はCDMという不服従運動をし、銀行、通関、交通といった経済機能をマヒさせようとしているのだ。ミャンマー国民が、日本やその他先進国に対して期待しているのは、軍事政権への経済制裁などの実力行使なのだ。しかし、日本政府の立場を考えると、経済制裁を実行することはかなり難しい。日本政府は、ODA円借款など、ミャンマーへの支援を沢山実施してきている。それには日本の商社、銀行、建設会社などの大手企業が関わっている。経済制裁をして、ミャンマーが疲弊してしまったら、多額の投資をした日本の企業は大損害を被る。日本政府は、日本の経済界の意向を考慮する必要があるため、そう簡単には経済制裁などできないのだ。したがって、丸山大使の行った会談は、日本政府がミャンマー軍事政権に対してできる最大限の抗議活動なのだ。だから、ミャンマー国民から、「手ぬるい‼」と批判されても致し方ない。このような姿勢は、以下の朝日新聞の記事からも読み取れる。↓↓↓

www.asahi.com

この記事にあるように、日本政府は、制裁色を出さないように、ミャンマー軍事政権に配慮までしているのだ。できることは、新たな案件を止めることだが、それだけでは、制裁とまでは言えないであろう。また、上記の記事内に、「ミャンマーの少数派イスラム教徒ロヒンギャの避難民をめぐり、国際機関を通じて1900万ドル(約20億9千万円)の緊急無償資金協力を行う」ということも記載されている。言葉通りに読み取れば人道的支援だが、国際機関を通じて行う1900万ドルが、本当に一銭も軍事政権の手に渡らずにロヒンギャの避難民のためだけに使われるのか、大いに疑問が残る。また、ロヒンギャのみならず、多くのミャンマー国民が苦難に直面しているときに、ロヒンギャだけを支援するというのも疑問だ。日本政府には、ミャンマー国民にも配慮し、時節をわきまえた対応をお願いしたい。

膠着状態のミャンマー

サンチャウン地区の警察による暴力

ヤンゴンのサンチャウン(Sanchaung)というエリアでは、警察を中心とした治安部隊による激しい弾圧が行われている。私の会社のマネージャー1人が、サンチャウンに住んでいるため、警察の横暴な振る舞いについて、毎朝のミーティングで話を聞く。サンチャウンでは多くの市民が抗議デモを行っている。そうすると、治安部隊がやってきて、発砲をし、デモ参加者を逮捕しようとする。デモ参加者は近くの民家や商店に逃げ込み、治安部隊から身を隠そうとするが、治安部隊は容赦なく、逃げ込んだ民家や商店に押し入り、逃げたデモ参加者だけでなく、そこの住民もデモ参加者を匿ったという理由で、暴力をふるったり、モノを破壊したりしたうえで、逮捕までするそうだ。今やミャンマーの警察は、暴力組織に成り下がってしまった。

サンチャウン地区における平和的なデモの様子↓↓↓

 警察による暴力、破壊、逮捕の様子↓↓↓

夜間に集まる治安部隊の様子↓↓↓

これらの写真のように、サンチャウン地域の住民は、外出することもままならない状況で、今や暴力組織に囲まれて、恐怖に怯えて暮らすことを強いられている。それでも、市民は国軍政府のクーデターに対する反対の声を上げ続け、抗議デモは勢いを失っていない。国軍政府と民主化を求める市民との膠着状態が続いている。

CRPH

そのような状況の中で、クーデターで全権を掌握した国軍政府に抵抗するため、アウンサンスーチー氏の所属する国民民主連盟(NLD)の議員らが立ち上げた独自組織「ミャンマー連邦議会代表委員会(CRPH, Committee Representing Pyidaungsu Hluttaw)」が「臨時政府」としての動きを活発化している。CRPHは外交担当者や閣僚代行を選び、自らの正当性を内外に発信しています。CRPHは、①国軍独裁政権の即時停止、②ウィンミン大統領、アウンサンスーチー国家顧問の告示開放、③民主化、④現憲法の廃止の4つを目的に掲げて組織を立ち上げた。

CRPHの声明によって、ミャンマーは、国軍政府とCRPHの2つの政府が並びたつことになった。言うならば二重政権状態だ。しかし、どちらも決め手を欠く。クーデターで政権を掌握した国軍政府を、国連は正式な政権と認めていない。一方、国際社会や経済界はCRPHを正式な臨時政府として認め、解決に向けたテーブルに着く段階には至っていない。NLD政権下の主要閣僚は多くが拘束されたままでCRPHに参画できていないなど、CRPHは政府としての能力に疑問が持たれている。CRPHの主張には賛同できるが、解決までには乗り越えなければならないことが多くありそうだ。私は、国際社会がCRPHを臨時政府と認めて、できるだけ早く解決の糸口を見つけて欲しいと切に願っている。

 

治安部隊の暴徒化

「抗議デモを治安部隊が鎮圧」というニュースを見聞きすることは、今までに何回もあった。その場合、抗議デモを行う側が暴徒化し、市民の安全を守るために、警察などが武力を持って鎮圧するというものだった。しかし、今ミャンマーで起こっている事態は、そういうことではない。デモ隊が暴徒化しているのではなく、治安部隊が暴徒化している。ミャンマーのデモ隊は非暴力・不服従を貫いているにもかかわらず、ミャンマーの警察や軍は、警告もなしにデモ隊に実弾を発砲している。治安部隊が、ミャンマーの治安を悪化させているのだ。

例えば商業地においては、以下のような状況だ。商業地にデモ隊が終結していると、デモ隊解散をさせるため警察が発砲する、デモ隊は近隣の店舗に逃げ込む。警察はデモ隊を追いかけ、その店舗を襲い、店舗の商品を略奪する行為をしている。こうなると、デモ隊が集結する地域では、当然店舗の営業を継続することができなくなる。こうして、経済活動が止まる事態が続いている。

治安部隊に追われ、近隣の建屋に逃げ込む人々↓↓↓

治安部隊に襲われた携帯電話ショップ↓↓↓

 警察が店舗を襲撃する様子↓↓↓

商業地が危険な状況になると、市民は住宅地でデモ活動を行うようになる。すると、警察は鎮圧のために発砲をする。デモ隊は近隣の住居に逃げ込む。警察はデモ隊を追いかけ、逃げ込んだ先の住居に侵入し、デモ隊だけでなく、その住居の住人も一緒に逮捕する。こうして、デモに参加していない一般市民も、デモ隊をかくまった罪で逮捕されるなど、安心した生活が送れない状況に追い込まれる。警察が来ると安心した生活が送れないので、市民は自ら生活道路にバリケードを設置する。こうして交通がマヒする。

治安部隊に破壊された家↓↓↓

 市民が手作りのバリケードを設置して道路を封鎖。それを治安部隊が撤去しようとする↓↓↓

治安部隊の行動はますますひどくなる。治安部隊は、活動拠点として学校を占拠し始めた。占拠した学校から治安部隊が出動している様子を、以下の写真で見ることができる。3月7日夜には、さらにひどいことが起きた。夜9時頃から、ヤンゴン各地で治安部隊が発砲を始めた。私の家でも銃声が聞こえる状態が続いた。治安部隊は威嚇射撃をすることで、抗議デモを抑え込もうとしている。しかし、武力でいくら脅しても、デモは収まらない。特に若者は、治安部隊に発砲されようとも、軍事政権は絶対に認めないという決死の覚悟で臨んでいる。こんなことが続けば国民は国軍政府に対して不満しか抱かず、解決の道は遠のくばかりだ。

3月7日夜の様子(発砲音が聞こえる)↓↓↓

 学校を占拠する治安部隊↓↓↓

このように、治安部隊は抗議デモを弾圧するために、武力を使い、暴徒化している。一方の市民は、若者を中心に決死の覚悟で臨んでいるため、武力行使をされても、抗議デモは一向に収まる気配を見せない。

暴徒化する警察↓↓↓

 収束しないデモ↓↓↓

 催涙ガスでデモを排除しようする治安部隊↓↓↓

国民は、どんなに武力で脅されようとも、クーデターで政権を握った国軍政府を認めるつもりは一切ない。 外国人の私から見ても、国民の生命を脅かす国軍政府が支配する状況は容認できない。一方、国軍政府は、武力で制圧するしか手段がないようだ。こうなると、もはや第三者が介入して止めない限り解決の糸口は見つけられないだろう。期待される第三者は、国連、西欧諸国、日本ということになる。日本政府の働きかけに期待したい。

治安部隊という名のテロリスト

 2021年3月3日は、少なくとも38人の死亡が確認されたとマスメディアで報道されており、2月1日にクーデター発生後、一番最悪の日になった。

 今回のことが起きて思い出したのは、かつて中国で起きた「天安門事件」だ。「天安門事件」は、1989年6月に北京の天安門広場民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した事件。今回ミャンマーで起きたことと同様、民主化を求めるデモを武力で排除し、多くの死者が出た事件だ。天安門事件では、中国共産党報道規制を敷いたことで、真実が正しく世界中に行き渡ったとは言えず、隠蔽されていることも多い。しかし時代がかわり、今や一瞬でツィッターなどのSNSを通して真実が発信される。もはや国軍政府の残虐さは、世界中の誰の目にも隠せなくなっている。

怪我人を輸送するために待機している救護隊員に暴力をふるう警察官↓↓↓

武装の市民を銃で殺害する治安部隊↓↓↓

 多数の死者が発生し、警察からの暴力が止まらないにもかかわらず、一夜明けた3月4日も、非暴力・不服従の姿勢を貫き、市民による反政府デモは続いている。市民の国軍政府に対する怒りは収まらず、警察が武力を使用して弾圧すればするほど、反政府デモは勢いを増す様相だ。 市民側の本当の意味での「決死の覚悟」を感じる。

3月4日デモの様子↓↓↓

 バリケードを張り、自己防衛する市民↓↓↓

 このように安全な社会活動ができないとなると、企業活動は続けられない。最大手のスーパーマーケットチェーンであるCity Mart Holdingsが3月4日の店舗一時閉鎖を発表した。市民が道路にバリケードを張り巡らし、警察も交通規制をするため、ヤンゴン市内は至る所で通行ができない状態となり、配送も難しくなった。そのため、私の勤める工場にも燃料を納入する業者が来れなくなり、事業の継続が次第に難しくなっている。 

最大手スーパーマーケットチェーンの店舗一時閉鎖のお知らせ↓↓↓

 ミャンマーの治安部隊は、非暴力の市民に対してますます激しく弾圧し、武力で制圧しようとしている。その様子について、私が会社のオンライン会議で、「まるで戦場のようだ」と発言したところ、従業員は異なる意見を言った。

「武力と武力がぶつかり合うなら、戦場と呼べるが、市民は非暴力・不服従で抵抗している。だから戦場でもなく、戦争でもない。非暴力の市民を武力で殺傷する警察や軍は、テロリストだ」と。

「マフィアかヤクザが、国政を担っている状態で、我慢できない」とも。

 私もできるだけ、ミャンマー市民の気持ちに寄り添って発言しているつもりだが、ミャンマー国民である従業員は、私の受け止め方とは違う。私はできるだけ早く安全な状態に戻って、企業活動を再開したいと考えているが、従業員は、民主政権へ戻すことが最大の目的で、そのためならどんな辛抱もできるという姿勢の者がほとんどである。

 このようなミャンマー国軍政府の強硬姿勢・暴力行為に対し、欧米諸国は制裁する意思を表明している。3月5日には、国連の常任理事国非常任理事国によるオンライン会議が行われるようだ。国連がどのような対応をするのか、固唾をのんで見守っている。

治安部隊が治安を悪化させる⁉

 2021年3月1日、ヤンゴンの大型商業施設の一つ、ミャンマープラザが一時閉鎖を決めた。閉鎖の理由は、治安部隊が大挙して買い物客の安全を確保できないからだ。言葉にすると、全く意味不明なことが起きている。”治安部隊が大勢来ると、買い物客の安全が確保できない”とは、これ如何に。「逆だろ‼」とつぶやき、クエスチョンマークがいくつも頭に浮かんだ。治安という言葉を大辞泉で調べてみたら、「社会の秩序・安寧が保たれていること」と書かれている。治安部隊という言葉も大辞泉に記載があり、「治安の維持を主な任務とする部隊」と書かれている。つまり「治安部隊が大挙して、買い物客の安全が確保できない」ということは、”社会の秩序・安寧の維持を主な任務とする部隊が多数一団となって行動しているので、買い物客の安全が確保できない”ということだ。辞書で調べるほど、ますます意味不明になっていく。何が起こっているか、ツィッターの写真を時系列に並べてみる。

2021年2月24日のミャンマープラザ↓↓↓

2021年2月26日、ミャンマープラザの周囲に治安部隊が訪れ、抗議デモ参加者を拘束する動きが発生↓↓↓

 2021年2月26日、治安部隊が訪れたため、ミャンマープラザ内にあるスーパーマーケットのシティスーパーが、買い物客の安全のためシャッターを閉めた。↓↓↓

 2021年2月28日午前、ミャンマープラザ前で抗議デモをする市民↓↓↓

2021年2月28日午後、ミャンマープラザで、抗議デモをする市民を排除・逮捕するため大挙した警察などの治安部隊の行動↓↓↓

 

ミャンマープラザの閉鎖のお知らせ↓↓↓

 2021年3月2日よりミャンマープラザは閉鎖され、閉鎖期間は未定。

 この写真や動画を見ておわかりいただけただろう。「治安部隊が大挙して、買い物客の安全が確保できない」とは、警察などの治安部隊が大挙おしかけ、武力を使って抗議デモ参加者を排除・逮捕する行動をするため、買い物客の安全が確保できないということだ。現在のミャンマーの警察は治安維持に努めているのではなく、抗議デモ参加者を排除し、逮捕しているだけだ。しかも、非武装の平和的な抗議デモ隊に対して、武力を使って排除し、多数の市民を逮捕している。武力を使用するので、デモに参加していない一般市民にも危害が加わる可能性があるため、ミャンマープラザは閉鎖に追い込まれた。国軍政府の一連の対応は、結果として、経済も悪化させている。

 国軍政府の指揮する警察は、全く治安維持活動を行っていない。こういう行動をする警察らを治安部隊と呼ぶのはおかしい。国軍政府は、受刑者を23,000も釈放し、治安を悪化させた。そのうえ、警察は平和的な抗議デモ参加者を武力で排除し、複数の死傷者を発生させ、多数の市民を逮捕している。国軍政府は、市民の安全や社会の秩序・安寧を保つ意思など毛頭なく、国軍政府を非難し、批判するものを排除することしか考えていない、とんでもない国の指導者たちである。一連の抗議デモ排除の行動は、警察という治安部隊を使って治安を悪化させた愚行として、今後、語り継がれるだろう。

 国軍政府の行動は、国連からの制裁があって然るべきものだ。国連や日本を含めた先進国は、内政干渉だと躊躇する必要はない。ミャンマー市民のために一刻も早く介入し、総選挙で選ばれた民主主義政権に戻すよう働きかけていただきたい。

非常事態下の企業経営

 一人の駐在員として、この非常事態下のミャンマーで企業経営をする立場に置かれているが、率直に言えば、自分にできることは、できる限りの安全の確保、資産の保全と、従業員を安心させるメッセージを発する以外何もない。

 安全の確保、資産の保全の対策として、最初に夜間の警備員を増員した。通常時の工場の警備は、夜間は出入口を閉鎖して、モニターや敷地内巡回を通して、火災発生などが起こらないように警備することが基本だ。刑務所から受刑者が23,000人も釈放され、放火・盗難事件など治安が悪化した後は、工場敷地外の状況にも警戒する必要があると判断した。そのため、警備員を3名増員し、1名は正門ゲートの外の警備、残り2名は敷地外周の警備と、不審者の徘徊をチェックする警備体制を築いた。

 従業員を安心させるメッセージとしては、雇用の確保と給与の確保に最善を尽くしていることと、日本の親会社の支援も取り付けていることを、従業員に伝えることだ。

 経営というと、売上・利益の追求、経営資源の効率的な活用、生産性の向上、顧客満足度の最大化など、取り組むべき課題は様々あるが、今回あらためて、非常事態下では、安全と安心が最優先事項だと実感させられた。

 その安全・安心も、株主・経営者という立場から見た安全・安心と、従業員から見た安全・安心とでは、重要事項が異なる。その両方を満たす対策が重要だ。まず、株主・経営者という立場では、多額の投資をしてミャンマーで事業を行っているので、資産の保全と、経営の継続の2つが重要事項となる。資産の保全という意味では、工場などの生産設備を守ること、現金を確保することとなる。生産設備は、警備の増強で対応が可能だが、現金の確保は、銀行が閉鎖しているとかなりの難題だ。できる限り、現金で回収できる売掛金を回収し、仕入れを極端に抑える対策で乗り切ろうと考えている。現在の在庫量で4月までは生産が可能だが、それが限界である。つまり、現在の状況が続けば、経営の継続が5月以降不可能ということだ。経営する立場から見ると、経済危機ならば、収益の悪化する率や期間を予測し、それに対応した経費削減策などを図り、企業経営の継続を最優先に取り組めるが、今回のような非常事態では、いつ正常に戻るのかも全く予測がつかないため、対策の取りようもない。

 従業員から見た安全・安心は、雇用と賃金の保証だ。そのためには、企業として給与支払いの原資となる現金が必要だ。上記のとおり、現金の確保は、銀行が閉鎖しているとかなりの難題で、現在のところ、3月末の給与が支払えるかどうか微妙な状況だ。言い換えると、従業員の安全と安心も、3月末が限界ということになる。

 反政府運動で展開しているCDMは、国軍政府を攻撃する唯一の手段だと思うが、CDMで銀行・貿易・物流が止まると、政府より先に企業の方が持たなくなりそうだ。日系企業の経営者と話をすると、2月末の給与も満額払えず、事情を従業員に説明し、給与の一部だけを支給したようだ。輸入がストップしているので、3月中に生産ができなくなるという工場も多数あり、3月中に政府が何らかの対応しなければ、ミャンマーの経済が持たなくなる可能性が高くなる。そうすると、国軍政府は対応を迫られる。これが、反政府運動の狙いだ。しかし今のところ国軍政府は、CDMの主導者には懲役20年を科すという法律を制定、抗議デモ参加者の多数の逮捕など、取り締まり強化をするだけで、具体的な解決策が見いだせていない。そのような強硬策で、反政府運動が収束するはずがない。国民は職を失い、収入を失っても、アウンサンスーチーの解放と、民主政への回帰を求め、軍政に反する反発は強く、二度と軍事政権には戻したくないという意思を持つ国民が圧倒的に多い。国軍政府が、3月中旬ころまでに何らかの打開策を示さない限り、ミャンマーは疲弊する一方だ。

 国軍政府は、今回の政変について法的な正当性を主張しているが、仮に法に則った対応だったとしても、そのことで国民を不幸にするのでは、何の正当性もない。政治体制には、民主制、共和制、独裁制、寡頭制、君主制など、さまざまな体制があり、それぞれに長所短所がある。独裁制でも良い政治を行ったことはあり、民主制や共和制でも悪政が行われたことはある。実際に「ローマの平和」をもたらした五賢帝の時代は、皇帝が国政を担っていた。誰が国政を担うかが問題ではなく、国政を担う者が、国民の安全な生活を守る責任を果たすことが重要なのだ。その責任を果たせない政府なら、法に則っていようがいまいが、国政を担う資格はない。アウンサンスーチー率いるNLD(国民民主連盟)が、軍事政権に代わって政権を担ってからは、多数の外国企業がミャンマーに投資をし始め、経済発展し、ミャンマー国民は豊かになった。その結果、大多数のミャンマー国民がNLDを支持し、圧倒的大差で総選挙で勝利した。この実績こそが、NLDが政権を担うべき者であることの証左だ。それなのに、強硬手段で政権を奪った国軍政府が、ミャンマーの治安を悪化させ、国民を不幸にするのだとしたら、その政治リーダーには、国政を担う資格はない。