ミャンマー駐在体験談

ミャンマー政変後の状況を一人の日本人駐在員の視点で書くブログ

アウンサン・スーチー女史 拘束(初日午後)

 2月1日の午後になって、ようやく人事マネージャーと連絡がとれた。人事マネージャーは工場に出勤しており、工場のWifiが繋がったので、Viberで私に電話をかけてきた。工場に出勤していた人事マネージャーと、製造マネージャーが話し合って工場の稼働体制を決めたそうだ。従業員の帰宅時間が遅くならないように、通常7時~14時、14時~21時の2シフト稼働をしているところを、7時~13時、13時~19時の2シフトに変更するとのことだった。同じ工業団地の近隣工場の状況を確認すると、夜間の操業は停止するが、稼働させているところがほとんどだということだった。しばらくは、我々の工場も近隣工場と動きを合わせることにした。

 営業マネージャーからも、Viberで連絡が入り、「すみません、社長。9時のWEB会議を設定しようとしたのですが、家のWifiも接続できなくなって、連絡する手段が全くなくなってしまいました。ようやく復旧したので、こうして連絡を取っています」ということだった。そして街の様子を報告してくれた。

「街は少しパニックになっています。社長は外出しない方がいいと思います。まず、市場やスーパーマーケットは、パニックになった客が食品の買い出しに押しかけてきて大混雑しています。それと、銀行のATMが使用できないので、現金が下せません。おそらくインターネット接続が遮断されたことが原因で、ATMが使用不可能なのですが、復旧のめどがわかりません。社長は、食料品や現金は十分にお持ちですか?買い出しが必要なら手伝いましょうか?」と申し出てくれた。
「ありがとう。食料品は十分にあるし、現金も基本的に銀行に預けていないから大丈夫だよ」と私は答え、電話を切った。

 食料品については、自分ではよくわからなかったので、妻に確認したところ、十分に1か月分以上はあるので、しばらく買い物に行けなくても何とかしのげそうだった。現金については、かねてからの持論で、新興国通貨は信用していないのと、新興国の銀行も信用していないので、一切銀行に預金をせず、家の金庫に保管し、給与日が来て前月から余った現金はUSドルに交換して、これも家の金庫に保管していたので、今回の銀行閉鎖のトラブルは全く影響がなかった。現金に関しては、上手いこと危機管理ができていたと自画自賛した。

 また、日系の運輸関連企業の方に、連絡して情報収集を行った。彼によると、空港は軍によって閉鎖され、通関はインターネット接続トラブルで、通関システムが機能しておらず、輸出入通関ができないということだった。

 その日起こったことを総合すると、金融機関と通関が機能していないということで、カネとモノの流れが止まっているということだ。こうなると経済は一切動かない。これらの情報をまとめて日本の本社に報告して、政変の初日が終わった。

食品の買い出しをする人々↓↓↓

 

ATMに並ぶ人々↓↓↓