ミャンマー駐在体験談

ミャンマー政変後の状況を一人の日本人駐在員の視点で書くブログ

警察による取り締まりの激化

 2月20日は、警察による実弾の発砲が相次いだ一日だった。マンダレーでは昼間に銃撃があり2名が死亡し、数名のけが人がいる模様。ヤンゴンのシュエピターでは、夜間自警パトロール中の市民が発砲され、1名が死亡するなど、警察による実力行使が本格化している。

 シュエピターでの発砲事件、センシティブな画像を含みます↓↓↓

https://twitter.com/kimtae_moon/status/1363179370953728008?s=20

 私の勤める会社は、ヤンゴンのシュエピターにある。シュエピター工業団地の殆どの工場が2月22日月曜日は操業を停止するという連絡が来たため、明日22日は当社も操業を停止することにした。その後、多くの人と話をしていると、工場の操業停止は、銃撃事件というよりも、2月22日に予想される全国的なストライキゼネスト)が要因だということがわかった。工場だけでなく、スーパーマーケットなど、ほとんどのビジネスは営業を停止し、ゼネストに入る予定だ。

 2月22日のような、日にちが222とゾロ目の日には、大規模なデモが実施されるとされている。実際に1988年8月8日には、多数の学生や仏教僧、公務員、一般市民が参加したゼネストが行われた。人々は民主主義への移行と、軍政支配の終結を求めていた。この大規模な抗議に対して政府は、軍隊にデモ隊を弾圧するように命じた。兵士は非暴力のデモ隊に発砲し、数百人の死傷者を出した事件だった。この事件を含む一連の民主化運動は、通称"8888民主化運動"と呼ばれている。その事件後、反政府運動が激化する中で、アウンサンスーチーが、ヤンゴンの「シュエダゴン・パゴダ」前で演説をした。その後彼女は、1989年に自宅に軟禁され、1991年にノーベル平和賞を受賞する。軟禁されていた彼女は、2012年にようやくノーベル賞授賞式に参列した。8888は、彼女が民主化運動の象徴となるきっかけを作った事件だ。

シュエダゴン・パゴダ↓↓↓

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アウンサンスーチー、2012年ノーベル賞授賞式にて↓↓↓

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 二度と、8888のような惨劇を繰り返してはならない。双方が冷静に行動することを願うばかりだ。