ミャンマー駐在体験談

ミャンマー政変後の状況を一人の日本人駐在員の視点で書くブログ

国軍政府の取り締まり強化

 ミャンマーの市民は、デモの規模を拡大し、CDMへの参加を呼びかけ、政府への抗議の姿勢を示し続けている。それに対して、国軍政府は市民への取り締まりを強化している。

 政府は2月8日に、夜間外出禁止令(20:00-4:00)と、公共の場での5人以上の集会禁止令を発令していたが、デモの拡大を止められない。市民によるデモの規模は次第に拡大し、CDMへの参加を呼び掛けるようになった。ミャンマーでは2月12日金曜日が祝日で、日曜日までの3連休となるため、デモのさらなる規模拡大が懸念されていた。

 そこで政府は2月12日に、23,000人を超える受刑者に恩赦を与え、刑務所から釈放した。デモ抗議をする市民を混乱させることが目的で、受刑者を釈放したと言われている。釈放後の2月13日土曜日の夜には、ヤンゴンの数か所で放火事件が発生し、釈放された元受刑者が放火事件を引き起こしたと言われている。また、ヤンゴン市内では夜間に不審者が徘徊し、地域住民が警戒を高めており、地域住民は夜間に自警活動を行っている。しかしながら、夜間外出禁止令が発せられているため、夜間の自警活動そのものも、法律違反となるので、自警活動だとしても夜間に外出していれば逮捕される可能性がある。つまり政府は、恩赦によって意図的に治安を悪化させ、その後秩序回復するために、国軍を出動させるということを狙っているようだ。実際に、2月13日の夜からヤンゴン市内でも装甲車や軍関係の車両が多く走るようになった。

放火事件↓↓↓

 夜間に走る装甲車↓↓↓

 放火事件は、私の勤める工場にも影響を与えた。12日金曜日が祝日だったので、勤務日の13日土曜日を公休日にし、13日の代わりに14日日曜日に出勤する体制をとった。ところが14日の日曜日に出勤したきたのは、100人出勤するうちのわずか25人で、工場の稼働ができなかった。欠勤した従業員に聞き取りをすると、夜間の自警活動に駆り出されたり、不審者の徘徊が怖くて眠れなかったため、勤務ができないということだった。政府が与えた恩赦によって、思惑通り治安が悪化し、完全に市民は混乱している。

 政府の取った策は、これにとどまらない。2月13日に、個人のプライバシーと情報を守る法律が撤廃された。さらに、2月14日の夜に突然、「2月15日 1:00am~9:00am間、インターネット回線、携帯電話ネットワークのデータ通信を遮断する」と発表があった。中国から技術者を呼んで、ファイアウォールを設置し、情報統制を図ると言われている。

 またテインセイン政権時代に廃止された村落法が復活した。これは、ある地域に他の地域の者が入って宿泊する際、宿泊先の世帯主から地方委員会への報告義務があるという法律で、活動家の移動を取り締まることを目的としている。

 2月14日には、同様にテインセイン政権時代に廃止された国家反逆罪・治安維持法も復活した。これで政府を批判するものは全て逮捕することが可能となった。

 市民のデモによる抗議活動は拡大し、それに対し、国軍政府は取り締まりを強化している。市民のデモ活動に対して、国軍及び警察がゴム弾を発砲し負傷者が発生したというニュースもあり、国軍政府 VS 市民の対立構造は、緊張の度合いを高めている。

 

 

市民の行動(CDM)

 2月1日のクーデター発生から、市民のデモは拡大を続け、国軍政府 VS 市民という戦いの構図が出来上がりつつある。2月8日に国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官は、TV放映で、憲法の尊重、新型コロナ対策、新型コロナで低迷した経済の立て直しなどを国民に訴えたが、効果がなく、デモは拡大の一途をたどっている。

 デモでは、”CDM”のプラカードを持った市民がたくさんいる。CDMとは、Civil Disobedience Movementの略で、市民不服従運動という意味だ。運動の内容は、単純に国軍政府の命令に服従しないというのではない。政府機関、医療機関、銀行などの職員が、職場放棄してデモに参加することで、社会に混乱を与え、国軍政府を揺さぶろうとする運動だ。CDMは多くの市民に賛同を得られ、金融機関や政府機関の活動がストップすることで、経済活動が混乱し始めた。

 例えば、ミャンマーの主要銀行であるKBZ, AYA, CBでは、従業員が職場放棄をしているため、店舗を開店できないばかりか、ATMも稼働しておらず、国内送金・国際送金も行えない。また税関や港湾でも、かなり多くの職員や労働者が職場放棄をしているため、通関などの手続きが行えなくなっている。輸入通関は、銀行が機能していないため、関税が払えず、商品や原材料の輸入が滞っている。さらに、Myanmar Transportation Assosiation(日本では、全日本トラック協会に当たる組織)が協会企業に対し、市民の抗議活動であるCDMを支持する声明を出したことで、多くの運送会社が業務を停止し、国内輸送にも支障が出ている。CDMの影響は他の業種にも波及し、多くのガソリンスタンドが閉鎖され、公共交通機関のバスの運行が大幅に減少した。

ガソリンスタンドの閉鎖で、バスの運行にも支障↓↓↓

 

 CDMに参加する市民には、強硬に職場放棄を促そうとする人もいる。具体的な例を上げると、通関手続きのため通関業者が税関のビルに入ろうとすると、CDMに参加している市民が、CDMに参加しない通関業者に対して抗議の意を示し、その人の写真を撮り、通関業者名をSNSに投稿するといった行為も行われている。

中央銀行に出勤する職員に、CDMへの参加を懇願する人々↓↓↓

  実際に企業を経営している私から見ると、CDMはかなり効果があると思う。銀行が閉鎖され、現金が手に入らないと、会社を運営することができない。通関が止まり、商品が輸入できないと、売るモノがなくなるので、経営を継続することができない。CDMによって、企業活動は八方塞がりの状態になってしまい、手の打ちようがない。しかしこのままでは、CDMは、国軍政府を苦しめるよりも先に、経済活動が機能不全に陥り、市民の方が苦しめられるだろう。

 経営セミナーなどで、経営資源について説明する時、企業にとって重要な資源は、「ヒト・モノ・カネ・情報」ということをよく聞く。CDMは、多くの市民の賛同を得て、通関を止めてモノの流れを止め、銀行を閉鎖してカネの流れをとめたので、ヒト・モノ・カネの3つを国軍政府から奪ったことになるので、政府を揺さぶるという意味においては、有効な活動だ。

 一方の国軍政府は、インターネットを遮断するなど、市民から情報を遮断している。このまま国軍政府が事態を静観するようなことはあり得ないので、国軍政府が今後どのような反撃に出てくるのか心配だ。アウンサン・スーチー女史が拘束されてから10日以上が経つが、解決の糸口が見えず、いったい国軍政府は、どのような着地点を想定しているのだろうか、予断を許さない状況が続く。

デモ拡大と政府の対応策

 週が明けて2月8日月曜日、市民によるデモ抗議活動は週末よりも激しさを増している。週末は会社や役所が休みなので、デモ抗議活動の参加者数が増えることは予想できていたが、月曜日に週末よりも規模が拡大したのは、職場での勤務を行わずデモに参加する人が増加しているからだ。デモ抗議活動の実態は、公道を数千人規模の人が声を上げながら練り歩いているのだが、車両通行の妨げにならないように、自らロープを張るなど、デモ抗議活動に参加する市民は周囲の人に配慮のある行動をとっている。

 その一方、デモ抗議活動の拡大は、ビジネスに大きな影響を与えている。税関職員の半分がデモに参加しているそうで、輸出入通関ができず、貿易が完全にストップしてしまった。銀行も、職員が出勤して来ないため、業務継続が難しく、主な地場銀行は閉鎖したまま。邦銀も状況は同じで、先週振込依頼をした案件が処理できないという連絡を受けた。理由は、ミャンマー人職員が欠勤しているために、手続きが完了できないということだった。いつまでも、銀行業務と輸出入通関が止まったら、自分の会社も売るものがなくなり、資金繰りも苦しくなるので、ヤキモキしている。

 この状況を受けて、国軍政府は2月8日夜に、以下2つの命令を発した。

  • 夜間外出禁止令(午後8時から午前4時の間の外出禁止)
  • 公共の場での5人以上の集会禁止令

 さらに、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターなどのSNSの遮断も継続している。SNSの規制は、VPNを使用することで規制を免れることができるので、あまり意味がない。5人以上の集会禁止は、デモ行進をしたら、一発で法律違反になるが、市民はおそらくデモ行進をやめることはないだろう。問題なのは、夜間外出禁止令だ。工場の操業時間を短くせざるを得ない。先週まで7時~13時、13時~19時の2シフトで勤務していたが、19時に工場を出発したのでは20時に家に到着しないものもいる。したがって、操業時間を7時~17時に時間を短縮した。そうすると2シフトで稼働する必要がなく、1シフトにせざるを得ない。そこで、2シフトの人数を、1日交代で出勤させることにした。これでは稼働率が50%となり、生産性がガタ落ちで、収益など見込めたものではない。この状況を端的に言うと、人件費は以前と同じで、売上が以前の半分になるということだ。利益など出るわけがなく、損失額を算出するのが恐ろしい。夜間外出禁止令による損害はかなり痛い。

夜間外出禁止令を発令↓↓↓

 

 翌朝、2月9日朝7時過ぎ、スマホのメッセージ受信音が鳴った。人事マネージャーからだ。写真を見ると、橋が警察によって封鎖されている。メッセージには、「橋が封鎖されて、数名が出勤できない」と書かれていた。2月9日9時に大規模なデモ行進を行うという噂が流れていたので、郊外からヤンゴンダウンタウンに人が集まるのを阻止するために、橋を封鎖したようだった。ヤンゴンは、川に囲まれた都市なので、橋を封鎖すると、郊外から人が往来できなくなる。政府はデモ抗議活動を抑えるために、橋の封鎖に踏み切ったようだ。2月9日夕刻には、封鎖は解除され、往来ができるようになった。いつまで、この状況が続くのだろう。ビジネスの継続を考えても仕方がないのかも。業務は成り行きに任せて、身の安全だけを考えた方が良いのかもしれない。

警察による橋の封鎖↓↓↓

 

 

インターネット接続遮断

  2月6日土曜日、いつもの週末のように、なかなかベッドから起き上がることができず、スマホでメールをチェックしたり、うたた寝したり、ウダウダしていた。スマホで本社からのメールが入っているのをチェックしたので、後でパソコンを開いて返事をしなきゃと思いつつ、だらだらと過ごし、朝9時過ぎにベッドから起き上がり、コーヒーを沸かし、眠い目をこすりながら、やっとパソコンを開いた。

 えっ、インターネットに接続できない。アパートのWifiが接続できないことはよくあるので、携帯のデザリングでWifiを繋げようとしたが、それもできない。多くの人との連絡を、Line、WhatsApp、ViberSNSばかりで連絡を取り合っていたので、いざそれらが全く機能しなくなると、どうしようもない。特に日本人の人との連絡はLineが多かったので、相手の電話番号すらわからない。失敗したなと思ったが、もう時すでに遅し。携帯電話の音声通話は使用可能だった。まず日本の上司に電話を掛けたが、留守番電話でつながらず、メッセージを残した。携帯電話は、事前にチャージする方式で、そこから通話料金が引き落とされるが、たしか1500円分くらいしかチャージしていなかったはず。そうすると、国際電話で長電話するわけにもいかない。他に連絡を取れる方法がないか考えていたら、ふと、マレーシアにいる駐在員に電話してみようと思いつき、電話をかけた。こちらも留守番電話だったので、メッセージを残した。

 そこまでして、いったん落ち着きを取り戻し、ミャンマーにいる日系企業の知り合いに電話をかけてみた。彼もやはりインターネット接続ができないようだった。彼の住んでいるアパートは、日本人が大勢住んでいるので、大使館からの情報が紙に印刷されて回ってくるらしいので、何か連絡があったら、電話を欲しいと依頼し電話を切った。

 すると、1時間後ぐらいに折り返し電話が来た。

ミャンマー政府が、2月6日午前9時過ぎから、携帯回線を介したデータ通信、固定電話を通じたデータ通信を、7日まで使用を停止するよう通達を出したらしいよ」とのことだった。

 そして彼は、「いやぁ。参ったね。やることないね。You Tubeも見れなきゃ、Netflixも見れない。仕方ない、酒飲んで、早く寝よう。」と言って電話を切った。

 その時、今更ながら思い知った。今の時代、我々はインターネットがないと、何もできなくなっているということを。25年くらい前までは、インターネットなど繋がらなくても、何ひとつ不自由を感じずに生活できたのに。ある意味いい機会なので、本を読むことにした。日本から持ってきた本が10数冊あり、Kindleにも何冊がダウンロード済みの本があるので、1か月くらいは、インターネットが繋がらなくても、本を読むことを娯楽にできそうだと思った。それと、私は妻が一緒に住んでいる。ほとんどの駐在員が新型コロナ騒ぎで、家族を帰して、単身でミャンマーに残っているので、1人で住んでいる人が大半。うちは妻が日本に帰らず一緒にいるので、話し相手がいる。それだけでも気持ちが落ち着く。ありがたいことだ。

 午後になって、マレーシアの駐在員から電話がかかってきた。国際電話だが、着信なので、携帯電話のチャージを気にせずに長電話できる。

 「日本の上司に電話して、留守番電話にメッセージは残したのですが、ミャンマーではインターネットが繋がらず、音声通話しかできないのです。また携帯電話のチャージ金額が少ないので、こちらからかけることが難しいので、すみませんが、メールで上司にその旨を伝えていただけませんか」とお願いしました。

 「大変ですね。いいですよ、もちろん。他に困っていることは、ありますか?食品とか足りています?。何かあったら何でも連絡して下さい。」と温かい言葉をかけていただきました。困難にあったときほど、人の親切が身に染みることはない。

 翌日7日日曜日の午前中に、日本の上司から電話があり、事情を説明し、8日月曜日にはインターネットは復旧する予定だということを説明した。

 すると、思いのほか早く、7日の午後2時半頃にインターネットが復旧し、ひとまず、ホッとした。

 国軍政府は、週末のデモ拡大を懸念して、インターネットを遮断したと思われる。SNSを遮断しても、完全に遮断できなかったので、こういう対応をしたのだろう。しかし、デモによる抗議活動は一向に収まらないどころか、拡大している。情報を遮断したところで、人々の意思や行動は簡単に変えることはできないようだ。今回、インターネット接続の遮断は、週末だけだったから、仕事に支障がなかったが、このあとが心配だ。それにしても、インターネットひとつでオロオロする今の自分にガッカリした週末だった。

 

情報統制の始まり

 2月3日、4日とデモ隊は規模を拡大し、軍や警察が街中にいる状況ですが、幸い暴動や大きな騒動には至っていません。しかし、市民の国軍政府に対する憤りは激しく、病院で医療活動ボイコット運動が広がりを見せるなど、職場を放棄しデモに参加する動きが出始めている。

医療関係者のボイコット運動↓↓↓

 

 また、為替が大きくドル高チャット*1安に動いた。1月末はUSD1.00=MMK1,340だったのが、2月4日にはUSD1.00=MMK1,420へと急にドル高になった。おそらくドル高チャット安基調は今後も続くと想定される。

 そのような中で、2月3日にミャンマーの運輸・通信省は、フェイスブックを一時使用停止するように、携帯通信事業者、インターナショナル・ゲートウェイ運営者、インターネット・サービス・プロバイダに対し、2月7日23:59まで一時的に同サービスを遮断するよう通達を出した。フェイスブックは、ミャンマー人の多くが利用するサービスで、日本人ならグーグルで検索するようなものについても、フェイスブックを使用して検索したり調べたりするほど、フェイスブックミャンマー人に受け入れられています。フェイスブックだけでなく、同社が提供しているメッセンジャー、WhatsAppも規制の対象となった。恐らくデモの拡大を警戒する国軍政府が情報統制を始めたのだと推測される。

 さらに2月5日には、インスタグラムとツイッターも、同様の規制が適用されるようになった。私も今まで受信していたツイッターが全く更新できなくなり、常にVPN*2経由で見るしかなくなった。フェイスブックを見ると会社の従業員が投稿しているので、どうやって投稿しているのか聞くと、「無料のVPNサービスがあるので、それを使っています。ほとんどのミャンマー人は無料のVPNを使用しているからフェイスブックツイッターも問題なく使えますよ。社長にも教えましょうか?」と言われ、「大丈夫。私は以前から有料のVPNサービスに加入しているから、君のフェイスブックも見ているよ」と答えた。SNSを完全に遮断する情報統制はなかなか難しいようだ。しかし、こんな抜け道だらけの規制で済むわけがないので、国軍政府は今後どのような手を打ってくるのか心配になる。

 また、2月6日、7日の土日は、会社が休みになるので、デモの参加者が大幅に増え、抗議活動が激しくなると推測された。外国人の私としては、暴動にならないことを祈る気持ちだ。

*1:ミャンマーの通貨。略称MMK

*2:Virtual Private Networkの略。仮想プライベートネットワーク。今回の場合はミャンマーで接続していながら、他国のネットワークに仮想的に接続することで政府規制を回避できる。

軍政府の言い分

 クーデター発生から一夜明けた2月2日は、意外と平穏な一日だった。障害のあった携帯電話、インターネット接続、TV放映は復旧していた。TVに関しては、一部BBC、CNNといった外資系のチャンネルは放映がストップされているが、NHKワールドプレミアムは見れるようになり、日本語の放送が復旧したのは、我々にはありがたかった。ネットワークも戻ったので、通関システムも復旧し、銀行のATMも使用できるようになった。街中に軍や警察が多くいるのと、空港が相変わらず軍に占拠されている以外は、通常通りで、工場も前日同様の稼働をした。ただ、これは嵐の前の静けさだと思った。

 

 さて、今回の国軍のクーデターについて、軍政府は正当性を主張している。彼らの動きを整理してみよう。2月1日早朝、ヤンゴン地域、ネーピードー管区を含むミャンマー全土で、NLD*1の政府閣僚、議員、党員が多数拘束された。2020年11月に行われた総選挙で、国軍を支援するUSDPが惨敗したのだが、その原因は、NLDの行った不正選挙にあるとみなし、今回のクーデターが発生した。

 2月1日に国軍放送局が大統領府命令を発表し、憲法第417条及び418条の国家緊急事態宣言の規定に基づき、国の司法・立法・行政の権限が大統領から国軍司令官に委譲された旨発表された。国軍政府は、上述の大統領令発表において、2020年11月の総選挙で国軍等が有権者名簿の誤りを指摘したにも拘わらず、政府及び連邦選挙管理委員会は見直しを行わず、また議会を当初の予定通り開催しようとしたことは、民主主義に対する重大な違反であり、憲法第417条及び418条の国家緊急事態宣言を発表した、この措置は同規定に基づき一年間の法的拘束力を有すると説明しています。簡単にいうと不正選挙をしたから、憲法に基づいて、国家非常事態宣言を発出し、1年間国軍司令官が、司法、立法、行政を掌握するということだ。法的には問題ないと正当化したいのだろうが、「不正選挙の疑い」を調査するために、政権与党関係者を拘束するのは、人道的に問題だと思う。当然のように、アメリカ、EUなどの先進国から、今回のクーデターを非難する声が上がっている。軍政府が目指す着地点がどこなのか、今のところはまだはっきりしていない。

ミン・アウン・フライン国軍司令官↓↓↓

 

*1:国民民主連盟。アウンサン・スーチー女史が率いる政権与党。2015年の選挙で圧勝し、2020年11月の選挙でも圧勝

アウンサン・スーチー女史 拘束(初日午後)

 2月1日の午後になって、ようやく人事マネージャーと連絡がとれた。人事マネージャーは工場に出勤しており、工場のWifiが繋がったので、Viberで私に電話をかけてきた。工場に出勤していた人事マネージャーと、製造マネージャーが話し合って工場の稼働体制を決めたそうだ。従業員の帰宅時間が遅くならないように、通常7時~14時、14時~21時の2シフト稼働をしているところを、7時~13時、13時~19時の2シフトに変更するとのことだった。同じ工業団地の近隣工場の状況を確認すると、夜間の操業は停止するが、稼働させているところがほとんどだということだった。しばらくは、我々の工場も近隣工場と動きを合わせることにした。

 営業マネージャーからも、Viberで連絡が入り、「すみません、社長。9時のWEB会議を設定しようとしたのですが、家のWifiも接続できなくなって、連絡する手段が全くなくなってしまいました。ようやく復旧したので、こうして連絡を取っています」ということだった。そして街の様子を報告してくれた。

「街は少しパニックになっています。社長は外出しない方がいいと思います。まず、市場やスーパーマーケットは、パニックになった客が食品の買い出しに押しかけてきて大混雑しています。それと、銀行のATMが使用できないので、現金が下せません。おそらくインターネット接続が遮断されたことが原因で、ATMが使用不可能なのですが、復旧のめどがわかりません。社長は、食料品や現金は十分にお持ちですか?買い出しが必要なら手伝いましょうか?」と申し出てくれた。
「ありがとう。食料品は十分にあるし、現金も基本的に銀行に預けていないから大丈夫だよ」と私は答え、電話を切った。

 食料品については、自分ではよくわからなかったので、妻に確認したところ、十分に1か月分以上はあるので、しばらく買い物に行けなくても何とかしのげそうだった。現金については、かねてからの持論で、新興国通貨は信用していないのと、新興国の銀行も信用していないので、一切銀行に預金をせず、家の金庫に保管し、給与日が来て前月から余った現金はUSドルに交換して、これも家の金庫に保管していたので、今回の銀行閉鎖のトラブルは全く影響がなかった。現金に関しては、上手いこと危機管理ができていたと自画自賛した。

 また、日系の運輸関連企業の方に、連絡して情報収集を行った。彼によると、空港は軍によって閉鎖され、通関はインターネット接続トラブルで、通関システムが機能しておらず、輸出入通関ができないということだった。

 その日起こったことを総合すると、金融機関と通関が機能していないということで、カネとモノの流れが止まっているということだ。こうなると経済は一切動かない。これらの情報をまとめて日本の本社に報告して、政変の初日が終わった。

食品の買い出しをする人々↓↓↓

 

ATMに並ぶ人々↓↓↓